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カウンセラーの対談「第5回小原仁氏、新倉カウンセラー対談<第1回>」

第5回小原仁氏、新倉カウンセラー対談<第1回>

小原 仁(こはら じん)プロフィール

小原 仁氏1980年、関大大学院社会学研究科博士課程修了。同年4月関大社会学部専任講師/人権問題研究所研究員。'82年より'86年まで助教授。退職後、かねてからの人間学研究をベースに研究所所長、セミナー・トレーナー、カウンセラーとして生涯学習活動に従事。現在JBI日本バランシング協会、コハラワークス(小原心身教育研究所)代表を務める傍ら、30数年間のワーク体験をベースに「ホロノダイナミック・バランシング」を提唱し、個人ワーク、グループワーク、カウンセラー、セラピスト、ボディワーカーの養成に活躍中。

バイオシンセシス・インターナショナル認定セラピスト・セラピスト養成トレーナー。日本プロセスワーク協会大阪支部長。バイオシンセシス研究センター副所長・関西支部長。朝日カルチャーセンター講師(トランスパーソナル心理学)。所属学会:日本トランスパーソナル学会(理事)、日本人間性心理学会、日本精神分析学会、日本音楽療法学会、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会、バイオシンセシス・インターナショナル(スイス)、日本ホリスティック医学協会。

インタビュー 第1回

新倉カウンセラー(以下 新倉):小原さんと初めてお会いしたのは、2年前の山中湖でのSEN(現TEN)のワークショップでした。私はいつも言語を主体として介入をしているので、ボディー、体からのアプローチはとても新鮮に映りました。本日は、小原さんがやっていらっしゃるボディーサイコセラピーについて色々とお話を伺いたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

小原 仁(以下 小原):はい、宜しくお願いします。

新倉:まず、はじめにボディーサイコセラピーとはどういう療法なのですか?確かライヒから始まっていて心理療法に体からのアプローチを導入した療法だと聞いていますが、どういう理論に基づいているのか、実際は何をやるのかを教えて下さい。

小原:はい、難しい質問なんだけれど単純化して言いましょうね。
おっしゃるとおりぼくのかかわっているボディーサイコセラピーは、ウィルヘルム・ライヒの流れです。多くの心理療法は、心身二元論、つまり心と体は別々という観点に立っているわけですけれど、ライヒは人間というのは心身の二元性と心身の一元性が統合された存在だという見方をしています。これを「心身の二元性と一元性の弁証法的構造」と言います。

新倉:弁証法的構造?なんだかすごく難しい言葉ですねぇ。

小原:心身は一体であるということと、心身は別々ということが同時に成り立っているような存在だということですね。ある局面では心身は別々っていう切り口から探求できるし、ある局面では心身は一体だという局面で関わっていかなかなければならない。その両方を同時に見ようとしたわけですね。 

新倉:なるほど、基盤が同時に二つあるということなんですね。心と体は別々というベースと、心と体は一つというベースもあって、そのときどきによって、どちらからか切り口を入れていくということですね。

小原:どちらからでも入れるんですね。で、その心身一体っていうところが、フロイトの系列ではどちらかと言ったら抜けていたし、そういうところがライヒの流れでのボディーサイコセラピーの根源やね。心と体は切り離せないんだと、それを難しい言葉で言うと「心と体の機能的同一性」っていうわけ。

新倉:心と体の機能的同一性?

小原:例えばフロイトの言う自我防衛機制というのがあって、自我の防衛機制によって例えば悲しみを感じないようにするじゃないですか。それを機能的同一性という観点から言うと、自我に対応する体っていうのが骨格筋なんです。だから自我が悲しみを感じなにようにしているときには、ある体の場所の骨格筋を緊張させてその悲しみを感じないようにしているわけ。そこが機能的に同一ですよね。自我が感情を抑えたら、体のほうも骨格筋が緊張して感じないようにしている。

新倉: 自我がやっていることと体がやっていることが機能的な同一性があって、そこが一体になって動いているということですね。

小原:そうですね。そして、筋肉の緊張による防衛システムを「筋肉の鎧化」と言ったんですね。難しく言えば体と心の機能的同一性というところに着眼して、心だけ見るのではなくて、それと機能的に同期して動いている体の方も同時に見ていかなければいけない。心のほうが自我防衛機制というひとつの固定化したパターンができると同時に体のほうには筋防衛機制が働いて筋肉の慢性的筋緊張、つまり筋肉の鎧のパターンが出てくるから、そのいったん筋肉の慢性的筋緊張が出てきたらその防衛パターンにアプローチしないと、マインドのレベルだけでやっても体の防衛機制のほうがはずれないわけ。

新倉:そうすると心の防衛機制がはずれても、体の防衛機制がはずれなければ、そのクライアントの症状というか問題は解決しないという見地ですね。そこのところは二元性ということで、機能的に孤立しているから心だけに働きかけても体のほうの防衛機制が出来あがってしまっていたら、自動的に慢性筋緊張はとれない。

小原:そうです、ほぼそういう考え方です。

新倉:フロイトの言う自我坊制機制は幾つかありますけど、筋肉の鎧化が自我防衛機制に対応するのであれば、防衛パターンによって体のブロックが起こる部位が異なってくるのでしょうか?

小原:日本人なんかわかりやすいけど「怒り肩」なんていったりしますよね。怒りを防衛するには肩ですよね。心身医学なんかで言われるのは、腰の筋肉でも怒りを防衛するとかね。或いは横隔膜が一般的に言うとガッツ・フィーリングが上がってくるところ。腸わたが煮えくりかえるとか断腸の思いとか、大きな感情が腹のところにあって、それが上がってくると、横隔膜が緊張するとかね。簡単に言うと大きな三大緊張部位というのは、横隔膜と首の前と首の後が三大緊張部位ですね。

新倉:三大緊張部位で、例えば怒りが横隔膜にかかわっているとか、或いは悲しみが首の前に出やすいとか、そういった特定の感情に対応する特定の部位はあるんですか?

小原:あー、三大緊張部位といったのは、特定の感情に対応する特定の部位というのではありませんね。これは、ライヒの弟子のアレクサンダー・ローエンが『うつと身体』(春秋社)に詳しく書いています。たとえば、足、脚のブロックは不安定感、落ち着きのなさ、根無し感覚。骨盤底、性器のブロックは性的倒錯、わいせつ感情。腰、腹のブロックは苦しみ、悲しみ、といったように、横隔膜、胸、肩、首、頭、目についても書いています。
ところで、先ほど言った3つの部位っていうのはね、ライヒ以降胎生学っていう、精子と卵子が結びついて細胞分裂して体ができるという胎生学の見地にもとづくとその3つなんですね。胎生学っていうのは、細胞分裂しいくと、内胚葉・外胚葉・中胚葉という3つの胚葉に分裂していって、内胚葉は内臓系になっていく、外胚葉は脳・神経系なっていって、中胚葉は筋骨格系になっていく。

新倉:内胚葉は消化器系だから感情、外胚葉は脳・神経系だから思考、中胚葉は筋骨格系だから運動に対応するってことですか?

小原:そういう対応。横隔膜は内胚葉と中胚葉を切断するところなんですよ。

新倉:感情と運動を切断するということですか?

小原:そう、感情がこもらない動きだとか、動きのない感情とか・・・例えば悲しんでいても、うわぁーという解放された悲しみの動き(ヒクヒクヒクと顔を歪め肩を揺すぶる動き)がブロックされれば、動きが止まってしまって涙がツッーと顔をつたう泣きかたになる。動きがブロックされているのね。動きのない怒りだとか、そういう場合は叩いて〜といって動きを引き出して感情と統合させるのね。ここは内胚葉と外胚葉の分断です。

新倉:首の前?感情(内胚葉)と思考(外胚葉)を分けるエリア?

小原:心のこもらない言葉とかね、コンピューターがしゃべっているみたいな。
それから思考と感情が統合されないから、思考のない感情、ただきぃきぃかんかん、考えるということと感じるということが統合されていないから、もう子どものようにヒステリックになる。

小原:後が中胚葉と外胚葉。

新倉:そうすると、動きと思考。

小原:そうですね。思ってはいるんだけど行動にならないとか、行動しているんだけど思考が全然伴っていなくてむやみやたらに動いているとか。ライヒからの流れは7つあって、それがほぼチャクラに対応している。ライヒ、ローエンの流れはほぼ一緒ですね。一般的に解剖学的にいったら、隔膜はエネルギーを遮断するところ。筋肉は全部縦に流れていて、エネルギーは縦に流れるから。隔膜は全部横、それはエネルギーを止めたり流したりすることが出来るように体が出来ているわけね。だから悲しみがあってもいつでも悲しかったら泣いたらいいわけではないじゃない、社会生活においていつでも出したらいいわけではない。

新倉:そうですね、会社で悔しかったり悲しかったりした出来事があったときいつでも泣けるわけではないし、嫌な上司に対して怒りを覚えてもそれを露骨に出してしまうのは得策ではないですね(笑)。

小原:骨盤隔膜ていうのは一番下にあるんですけれど、それはセクシャリティーに関係している。横隔膜、頭なんか二つあるんですね。そういう隔膜での分け方とか、ローエンなんかはそうですね。ローエンの分け方とライヒの分け方はほぼ似ている。

新倉:鎧化(ブロック)が形成される7つの体節はどこですか?

小原:下から骨盤部、下腹部、横隔膜、胸部、頸部、口唇部、あと・・・目部

新倉:今までのお話からボディーサイコセラピーが体と心は連動していて、体の動き、感情、思考は密接に関係していて、その関係性を阻害するのは心の自我防衛機制のみにかぎらず筋肉によるブロックで、そこから心身の不調が生じるという考えにもとづいたセラピーであること、そのためには身体のブロックをはずし、感情の解放を図る必要があるということがわかりました。小原さんの介入を前回見ていたとき私達がやる所謂インテークは一切関係無しで何か突然入った印象があったのですが、通常初めてのクライアントとはどのようにスタートするのですか?

小原:ケースバイケース。あれはひとつの入り方で僕のクライアントでも話だけでやる人も何人かいます。一年間位はもう話だけになる人もいる。

新倉:えっ?話すだけ?体にはアプローチしないんですか?

小原:体には何か触れられない感じがある人がいるからね。

新倉:触れられない感じってどういう感じなんですか?

小原:触れられない、うん、難しいなー。

新倉:例えばAさんとBさんがいて、Aさんは体から入れるけどBさんは入れないというのは何が決めてなんですか?

小原:う〜ん、結構直感だね。触れる気にならないときには触れない。あるクライアントは怒りが職場でもちょこちょこ出ていて、お母さんに対して怒りがあると言うので、じゃやってみましょうかということでイメージ誘導を始めたんだけど、全くイメージ湧きません。イメージが湧かないからお母さんに感じている怒りも「いま、ここ」で感じることが出来ませんよね。次にやったのは、怒った人を100%演じて下さいといって、「バカ野郎!」と怒鳴りながら叩いてみてと言ったら「いや、それは出来ません」と。そうすると身体志向的なワークは出来ないわけですね。その人の場合出来ないと思っていたんだけど、ともかく自分がどういうところにいるかを知ってもらうために、やってもらった。

新倉:やってもらったというのは、そのクライアントさんに「出来ない」ということを認識してもらうためにやったということですか?

小原:そう、それに入れないっていうことを本人に再確認してもらったというケース。その後やったことは体を緩めるということ、からだの感覚と繋がること。すごい感情を抑圧していて筋肉の鎧化が起きている。そうやって体を触ったり、体を使うワークをやったけれども、この間、(新倉さんが)見た人みたいには入らないわけ。入れないひとつのケースとしては、クライアントが延々に話したがっている場合。この人は話したいんだなと思ったら聴いてあげるね。話をいい加減にして、ワークしましょうとは無理やりしないから、結果的に1年位毎回話しばっかり聞くってことになっている人もいる。

新倉:最初に小原さんのところに来るクライアントは、小原さんがボディーからのアプローチをしているので、それを受けるということが前提でなくていらっしゃる方もいるということですね。直ぐに体のワークに入りやすい人というのはどういう人なのですか?

小原:まず身体症状が結構ありそれを訴える人。喉がつまるとか、胸に圧迫感があるとかモヤモヤしているとか。僕らのアプローチの仕方として、身体症状からのワークがあります。身体症状の背後には感情なり、ある種の苦痛の体験ね、トラウマ体験といわれるようなものが潜んでいるという仮説を持っているので、身体症状にアプローチしていけば必ずその背後にある感情が出てくるのがわかっているから、身体症状に訴える人はすぐ身体症状から入っていきますね。

新倉:例えば喉がつまる症状を訴える人にはどのようにして入っていくのですか?

小原:身体症状がどんなものであれ、まずその症状と深くコンタクトを取ることが必要なわけね。喉が詰まっている感じだったら少しリラクゼーションの誘導をしておいて喉に意識集中をしてもらうわけ。喉がどんな感じなのか意識を集中してもらう。喉に何かものがつまっているのか、それとも圧迫感なのか、或いは器官がひっついたような感じなのか、どのような感じなのか丁寧によくそれを調べてみて下さいと。

新倉:クライアントに感覚のディテールを語ってもらうということですか?

小原:そう、でも語るまえに意識を集中しているうちにもう涙が出てくる人もいる。どっちにしろ意識集中してもらうために、そこの形がどうなっているのか、詰まっている範囲がどのくらいに渡っているのか、何かがつまっているのであれば大きさは、ラムネ大なのかピンポン玉位なのか、もし色をつけるとしたら何色なのか、丸い形なのかギザギザしているのかなど、要するにそこに意識集中ができるように形や色や質感などを具体的に聞きます。

新倉:コンタクトが取れると感情が動きだすということですね。

小原:コンタクトがきちんと取れたらそこで何らかの動きとか感情とかが出てくるし、なかなか出ない場合でも集中していると体のどこかが動かしたくなったりします。頭に何らかの言葉とか記憶とかイメージが浮かんでくるかもしれませんし、そういうことにも気をつけながら喉に意識を集中して下さいと言うわけ。動きが出てきたら自由に動いていただいて結構です、感情がでてきたらそれを言葉にして「バカ野郎!」と叫んでもいいし、ただ「わぁー」と声にして表現してもいいし、頭に何か言葉が浮かんできたらそれを言ってもいいって言ってあげたりしますね。

新倉:なるほど・・・以前動きが出てきたときに、動きを大きくするため強調していくような介入をされていたと思うんですけれど、その強調していくことの意味というのは何ですか?

小原:動きと感情が切断されていると、その感情にふさわしい動きよりも動きが大抵セーブされているわけね。だから、むしろその動きを誇張するくらいにしていってその感情にみあった動きになるというひとつのこれも仮説ですよね。それで動きを解放していくために例えば抵抗を加えるとか、ひっぱるとか押すとか抵抗を加えながらその動きが拡大する方向にもっていく。多くの場合は、動きは萎縮して収縮していっているから、それを解き放つために抵抗を加えることで動きを拡大する。

新倉:強調・拡大ですね。ゲシュタルトでも身体表現の誇張をしたり、フレーズを何度も繰り返し言わせたりしますよね。ところで、先ほどの例で、動きはやたらに激しいけれども思考が伴っていない場合はどうするんですか?動きが顕著で大袈裟だけどその動きは思考とつながっていない。例えば強迫性障害の方などは、思考と行動が切断されていますよね。頭では何十回も手を洗わなくてもバイ菌に感染しないということがちゃんとわかっているけど強迫洗浄をしてしまう。

小原:動きがすごくでていたら、動いていて、今どういう感じがあるか、感情とか感覚にコンタクトを取ってもらう方にもっていったり、逆に動きを止めるとどんな感情や感覚があるか味わってもらったりしますね。僕は感覚とコンタクトをとるということをとても大切にしています。それは仮説としては、脳理論ですよね。もう亡くなってしまった時実さんっていう東大の脳生理学者がいて、彼は植物脳、動物脳、人間脳という分け方をしていて、最近は爬虫類脳、哺乳類脳、高等哺乳類脳って言われてますね。

新倉:それは原始的な脳から段々高等な脳にあがってくるということ。

小原:大雑把に言うと、爬虫類脳が感覚なんですね、哺乳類脳が感情、人間脳が思考なんですね。病んでいるレベルが深ければ深いほど感覚の部分が阻害されている。だから感覚とつないで、感情とつながって、思考とつながるみたいな感じがあるんで、これはフォーカシングでいうフェルトセンスに近いかもしれません。だから僕は感覚とつながるというのを特に大切にしている。思考は外胚葉、外胚葉は脳・神経系だから感覚なんですよ。だから動きがあればどんな感じがどこにあるかと、感覚とつながってもらうということを僕はやりますね。自分の感覚と繋がる練習を宿題にだしたりする。呼吸を感じてみてくださいとか。

新倉:お腹の動きの感覚、胸の動きの感覚、鼻孔を通る空気の感覚とかに意識を研ぎ澄まして呼吸を観察してもらう。

小原:そうです。もっとも呼吸の感覚を感じられるところに意識を集中してもらい、そこの感覚で一息吸って吐いて一、吸って吐いて二と十まで数えてもらう。十まで数えたらまた一にもどって5分から15分くらい練習してもらって感覚とつながれるようにする。およそ10分から15分ぐらい感覚と繋がったままで居れるようになると、おのずと完了のプロセスが動き出します。

新倉:自分の感覚とつながるのが第一にくるのは、感覚と繋がれなかったらその先のワークに入っていけないからでしょうか。先ほどの喉のつまった感じがするという例も、のどが詰まった感覚に本人が繋がれなければそれより深いワークに入っていけない?それでは繋がれない人にはどのように対応するんですか?

小原:例えば、背中に手を当ててね、背中に僕の手をあてられた感じはどうですか?と、刺激を与えながらセンサリーアウェア二スのテクニック、感覚の覚醒ですよね。その感覚の覚醒からまずやらないといけない。だからそれは端的にボディーワークをやる場合もあるしね、マッサージテーブルでやって身体感覚へ覚醒していく。動きを通じて感覚につながることからやらないとダメな場合もある。

新倉:そうすると今いったように体の色々なところに手を当てていってセンサリーアウェアネスを得てもらう際に、さっき言っていたような体がバリバリのクライアントは他者から触られてもあまり感じないと思うんですけれど、その場合はどうするんですか?鎧化がひどい場合ですね。

小原:僕はね、結構マッサージテーブルでやるワークもやるから、所謂ロルフィング調のをね。

新倉:ロルフィング、なんだか痛そう(笑)筋肉の鎧を取り去るには直接筋肉にアプローチしていくわけですね。そのときの筋肉の状態はどうなっているんですか?

小原:慢性筋緊張の場合は、筋膜の癒着が起きているんですよね。筋肉は膜で囲われていてソーセージみたいになっていて、それが何本かまた筋膜で包まれているのね。それが筋膜が癒着すると、押しても癒着があって滑らないから押しても鉄棒が入っているような感じなわけ。健康な筋肉だったら癒着がないから押したら、ツルっとすべるわけです。押したらへこむわけ。

新倉:すごく分かりやすい、筋膜が癒着していたら押しても指が入らない。いますよね、そういう方。それを剥がしていく作業をするから当然痛いわけか。

小原:そう、慢性筋緊張で固まってしまった筋肉を自由な筋肉にするから痛いんだけど、同時に痛いから感覚の覚醒にもなるわけですよ。

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