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カウンセラーの対談「第43回 藤田博史氏、新倉カウンセラー対談 <第3回>」

第43回 藤田博史氏、新倉カウンセラー対談 <第3回>

藤田博史氏(ふじたひろし)プロフィール

藤田博史氏 医療法人ユーロクリニーク理事長・院長。

フランスの精神分析に精通し、特にジャック・ラカンの精神分析理論に関する研究では日本の第一人者。また、日本のへき地・離島医療にも造詣が深く、東京都小笠原村診療所、母島診療所、利島村診療所非常勤医師および東京都御蔵島村診療所長を務め、約10年間に渡りへき地・離島医療に従事。 2001年から2002年まで早稲田奉仕園および東京芸術劇場で一般公開セミネール「人形の身体論ーその精神分析的考察」、2003年から2011年まで日仏会館で一般公開セミネール「心的構造論ー精神病の精神分析的治療理論」、2012年から「治療技法論ーラカン理論に基づく治療技法の実際」、2013年から「精神分析の未来形ー厳密なサイエンスとしての可能性を探る」、2014年から「海馬症候群ー量子力学と精神分析の甘美な関係」、2015年から「オールフラット理論ーホログラフィック精神分析入門」、2016年から「精神分析原理 Principia Psychoanalytica ーフロイト・ラカンが仕掛けた陥穽」を主催。2003年に新宿ゴールデン街に「精神分析的実験バー CREMASTER」を設立し、毎週木曜夜には「フジタゼミ」がおこなわれている。なお身体的特徴として内臓逆位であることを自ら公表している。

インタビュー第3回

藤田先生(以下藤田):本当にそうですよ。村の掟に協調して生きていかなければならない。あと私は当時ヨーロッパに住んでいたので診療所の二階が住宅になっていたんですね。必ず鍵をかけるのですけれど、藤田先生はドアに鍵をかけるって言われて、それだけで噂話になったりしました。良いところは、イルカが住んでいる島なのでイルカと一緒に泳げて癒しになるんですよ。

新倉カウンセラー(以下新倉):ドルフィンセラピーありますよ、アメリカにも(笑)。

藤田:イルカを見るための観光客も結構来るんですが、あるとき、二十歳くらいの女性が泳いでいて船外機っていってモーターがついている船の船頭さんが気づかないで、エンジンをかけちゃって彼女の足がパーンと縦に真っ二つに割れた。

新倉:きゃ〜、怖い!私には想像するだけであまりにも怖い話。

藤田:解剖の断面図みたいでした。きれいに洗って消毒して、そこで血管とか縫合する設備はないので合わせてサランラップでぐるぐる巻きにして氷の中に入れて緊急ヘリを呼びました。島での生活では、本当に救急救命医をやっていてよかったなと、人のためになったという実感がありましたね。父の遺言っていうか口癖が、人のためになることしろって。自己満足かもしれないけれどそういう実感がありましたね。

新倉:それでは、なぜ島を出られたのですか?

藤田:やっぱり村社会がどうしても自分の自由主義と合わなくなってしまって辞めました。その後、東京へ戻りウィークリーマンションにいて健康診断のアルバイトをしながら、次は何をしようって思ったら「そうだ、ヒマラヤへ行こう」と思い立ってネパールへ行った。そこで知り合ったネパール人の男性と二人でヒマラヤ山中に1ケ月間くらいいました。そこでの経験が自分の精神分析家としてのベーシックなものの考え方を補強してくれたと思っています。

新倉:ベーシックなものの考え方って?

藤田:本物の精神分析家は大自然なのだと。大自然こそが本物の精神分析家。

新倉:人じゃない・・・

藤田:人じゃないですよ。人は誰しもがコンプレックスを抱えているし、私は精神分析家だよって言っている人でも中身はドロドロしていたりとか、そんな人に自分のすべてを打ち明ける気にならない。ところが大自然の中にいると、ほんとに標高4000mの所にひとつ小屋があって、そこに泊まるわけです。シャワーも天水っていって空から降ってきた水を貯めてそれを浴びる。そこには、ヨーロッパやアジアやアフリカなど色々な国の人々が来ていて、みんなで楽しく英語で和気藹々とやっている。私も加わって話たりするもするのだけれど、集団と一緒にいるより一人になりたくて、小屋の外に出てドアをバタンと締めると、今までのざわめきが全部消えてあたりが静まりかえっている。真っ暗なヒマラヤの中腹で空を見上げると満天の星。流星も次々と流れている。そういう空を見上げたときに、広大な宇宙の中に、本当に小さな地球が浮かんでいて、人間はその中のまたちっぽけな存在だという気持ちが湧いてくる。そうすると、ありふれたことだけれど、悩んだり苦しんだりしていることは、本当にちっぽけなことだと実感としてわかる。天国にいるような感じとでもいうのかな。で、下山すると、車の雑踏や鳥のさえずりが聞こえたりする世俗的な世界が待っている。それがすごく新鮮だったですね。普段は聞き逃してしまう音も全部耳に入ってくる。ヒマラヤ体験が、分析家は人じゃない、やっぱり大自然、大自然の中で見たひとつの星とか、小動物とか、闇なんだなと。

新倉:その後も時間があるときは大自然を体験しに通っている。自分自身の分析に通っているって感じですか?大事ですよね、こういう仕事をしていて、自分自身のセラピーを受けることは。プロになってしまうと自身のワークをやらない治療者が多いですが、治療者としてきちんと機能していくためには大事だと思います。

藤田:ですから、おそらく私の分析家としてのモラルと他の分析家のモラルはかなり違うと思うのです。分析家というのは、人格者でなければならないとか、品格がなければならないとか、子供ではなく大人でなくてはならないとか・・・、そうではなく、私はなんでもありだと思っているんですよ。だからときには子供ぽくなるし、ときには感情的になるし、それが全てっていうかな、人間性のすべてだと思っているんですよ。藤田先生はいつも冷静なのですねって言われるけれどとんでもない。

新倉:そういう風に見られがちですよね(笑)。

藤田:はしゃぐし、喜ぶし、きっとそれが人間性ですよね。ジェントルマンでいるっていうのは抑圧がかかっていたりする。そうじゃなくて、生きた瞬間を生きる、ありのままを生きるっていうのがきっと本当の分析家っていうか、自然とありのままでいる。自然って取り繕わないでしょ。

新倉:はい、半分花がもげていようが、欠陥があっても、ありのままですよね。

藤田:それが取り繕って「私は精神分析家です」みたいな方には一番かかりたくないですね。

新倉:まぁ、いけすかない人たちですね、私の言葉で言うと。

藤田・新倉:大笑い

藤田:吉福さんが生きていらっしゃったら、唯一わたしが相談をしたい人です。

新倉新倉:あー、やっぱりそうですか?!私は、吉福さんが亡くなって話をする人がいなくなってしまって・・・生前、彼が東京へ来るたびに、お時間をいただいて本当に色々な話をしましたね。自分の抱えているケースのことだけでなく、自分自身のこともね。それがまた良い仕事をして行けることにもつながっていたのだと思っています。だからこの2〜3年はちょっとスタック状態ですね。私もそろそろ大自然に出かけて行かなきゃいけないのかもしれないです(笑)。

藤田:やっぱり吉福さんが天国へ行ってしまったのは、大きな損失っていうか、私は直接お目にかかっていないけれど、ご存知のように1991年にイマーゴの連載を同時にやっていたので、恐らく吉福さんも私の連載を見てくれていたと思うし、私も彼のハワイ便りは楽しく読んでいました。ただお目にかかれなかったというのはすごく残念です。

新倉:当時、日本で河合隼雄さんとかと心理学の潮流を吉福さんは一緒に起こして盛り上がっていた。そんな中、すごく直感的な方だから、彼自身が日本のあの環境の中にいたら自分がどうなってしまうのかを察知してハワイの人里離れたノースショアへ行かれたのかなって思うんですよ。私も彼のご自宅を訪れましたが、家庭菜園をやったり、サーフィンしたりとかして過ごしながら、年に2回ほど来日して色々なワークショップをやったりしていました。彼も自身のバランスをハワイの大自然の中に身を置くことで保っていたんじゃないかなぁと。私の推察なのですが、吉福さんは、海とか山に囲まれて幼少時代を過ごされたから、彼の中の原点というか、原風景みたいなものが自然の中にあったのではないかと。人として生き生きとした無邪気な方でした。時には凄く厳しい方だったし、知的にロジカルに色々なことをお話しされたり、よく冗談を言ったり、本当に色々な側面を見ました。何の飾り気や取り繕いもなく、そこに「いる」という感じです。

藤田:うらやましいな〜、新倉さんは吉福さんを直接知っておられるから。

新倉:所謂、社会の"しがらみ"みたいなもの、私などはある程度縛られていますけれど(笑)、全然構わない感じで、いつもありのままでいる感じでしたね。お偉いさんにも媚びたりしないし、そういうところの自由さというか、見ていて非常に自然な感じがありました。あれだけ多くのクライアントをみて、難渋なケースも彼にかかると不思議と良くなる。彼自身が大自然みたいな治療者だったからなのかなって思います。

藤田:人を治すのは技法ではなくて、その存在なんですよ。だから、吉福さんがいれば治るんですよ、自動的に。私の理想も実はそうなんですね。藤田先生と話をしていれば何か良くなってきたって、こっちも楽でしょ。何かやっぱり色々な技法を追い求めている臨床心理士とか多いですよね。自分の決定打が見つけられていないわけですよね。だから色々な技法を身につけてそれで一生懸命クライアントに対応しようとしているんだけれど、ちょっぴり批判的なこと言ってしまうと、やはり自分が定まっていないとなにも始まらない。要はその人の持っているスキルではなくて人間そのものが、要するに信頼に値するか、尊敬するに値するかで、それがあれば、その人がそこにいるだけでよくなるんですよ。

新倉:そうですね。治療者の"存在の力"によって、いろいろな治癒が起って行くのだと思います。でも、吉福さんの介入を見ていると確かにテクニック的にも凄いなと思うことが多々ありました。それを吉福さんに聞くと、「新倉さん、あれはね、何となく即興的に思いついてやったんだよ」と言うのです。多分ね、それは嘘じゃない。何か教えられる定型のテクニックではないのです。ただ、セラピーをやっている私や同業者に、彼はよりよいセラピーができるように我々を育てたいとか、育って欲しいなという思いはあったと思います。何と言ったらいいか、吉福さんからはテクニックではなくてセラピーの"エッセンス"を教わった感じです。とても感謝しています。でも、それらをどう掴みとって、どう解釈し、どういう風に自分らしく活かして行くかは、個々のセラピストの力量にかかっているのかなぁって。

藤田藤田:ほんとおっしゃる通りですよ。吉福さんのすごい所は思いつきが単なる思いつきじゃなくて、実はよくよく見てみると根拠のある思いつきっていうのかな。それがありふれた表現になるけれど、ジャズのインプロビゼーションと似ているわけでしょ。音楽の素養がある程度ないと出来ないですよね。やっぱりお互いに了解可能なひとつのパターンをいっぱい持っているんですよね。そのパターンの答え合わせをしているわけですね。我々人間であれば誰もが了解可能なパターンを心の中に持っているから、その答え合わせがうまくできたときにシンクロナイズするかもしれないし、その人に対する尊敬の念とか敬愛の情とか生まれてくるのだと思うんですよね。治癒を導くのはやっぱりそういう全幅の信頼感だと思います。一言でいえば、治癒に結びつく人間の姿勢は理想的な父親の振る舞いだと思うんですよ。

新倉:理想的な父親ですか?

藤田:父親っていっても厳格なだけじゃだめでしょ。ときには無邪気に子供と遊ぶ父親もいるし、危険に晒されたら守る父親もいるし、すごく優しい父親もいる。つまり理想の父親こそが最高のセラピスト。という意味では吉福さんは最高の父親のひとりなのでしょうね。理想の父親も色々いると思うんですよ。だから私は、私の理想の父親のセラピーをやるのだと思います。フロイトにしてもヤコブっていう非常に厳格な父親がいてその父親が亡くなって、その父親に対する喪の作業、モーニングワークとして始めたのが精神分析だった。

新倉:父親ではなく母親ではどうでしょうか?

藤田:フロイトの一番弟子にサンドール・フェレンツィという人がいるんですが、フロイトとは対照的に母親的な治療をする人なんです。母親的な優しさも、それはそれで凄いです。彼の著作集など読むと本当に感心します。優しくて女性的、あるいは母親的。だから父親的なセラピストも素晴らしいし、母親的なセラピストも素晴らしいのだと思います。ただし、中途半端な父親的、母親的なセラピストがどんなにいることか。セラピストに自分の心の問題になっていた自分の母親を投影してしまったりするので非常にやっかいなことになりますね。つまり孤高の母、孤高の父、手の届かないところから一番暖かく照らす太陽みたいな。。。手が届かないのだけれど、そこにいてくれて、自分がここで生きていられるみたいなポジションを治療者がとれればクライントは自動的に治りますね。

新倉:おっしゃっていることよく分かります。それは実際の治療者の性別にかかわらず、理想的な父や理想的な母の資質を持ち合わせているセラピストであれば良い治療関係に発展して治癒してゆくということですよね。

藤田:病気の治療って自動的に治ることでしょ。風邪だって自動的に治るわけでしょ。自己治癒力、私はやっぱり体と同じで心にも自己治癒力があると思うので、その自己治癒力に手を差しのべるだけですよね、やれることは。

新倉:吉福さんの言葉を借りれば、私たちは手を貸すだけ、治るのはクライアントの力っていうことですよね。

藤田:全く同感ですね。手放しで太陽のように輝けるか、月のように照らせるか、遠くにありて、その人を導くという役割がセラピスト。残念なことに臨床心理士と呼ばれている人たちは、東奔西走して色々な学会や勉強会へ出かけ、稼いだお金を勉強会につぎこみ、何か修了書みたいなものをもらっては一安心している。不安なんですよね。結局、自分の居場所を定められない、自分の存在そのものがきちんと確定できないってことは、そのポジション自体が果たして治療者のポジションなのかどうか?ということはやっぱり気になりますね。

新倉:精神科医に関してはいかがですか?

藤田:まぁ絶望的ですよね、日本は。もちろん、尊敬に価する先生もいますけれどね、少ないですね。メジャーな先生たちは、結局は日本の保健医療制度が悪いのですけれど、もうお薬をじゃんじゃん出してどんどん入院させないと赤字になっちゃうから。

新倉:そうですね、点数を稼ぐために医療としてではなく経営としてやっているところはあるでしょうね。

藤田新倉藤田:外来だったら6分以内で終わらせないと赤字ですよ。やっぱり健康保険制度が悪いけれど、それに縛られたまま文句も言わないで、その中で何とか処理しようとする精神科医は、もうお腹いっぱいになるまで投薬する。あと精神病じゃないのに精神病の薬を出したりする。本当に厭になります(笑)。

新倉:出ましたね、本音が(笑)。

藤田:厭だ、もうこうなったら厭だって言う(笑)

新倉:正直は大事!抑圧する必要はないですね(笑)。

藤田:雇われて私のやりたいようにやったら「先生、薬を出してもらわないと困る」って言われますよ。自分のクリニックなので自由診療だし薬はいらない。面接料もさまざまですよ。一時間一万円の人から500円の人までそのときによって決めますから。

新倉:欧米で主流なスラインディング方式ですね。

藤田:日本人はいい意味でも悪い意味でも規則ですからっていうのが多すぎて不規則ができない。あと臨機応変ができない、リジッドで窮屈ですね。

新倉:そろそろお時間も押してきたので、最後にひとつ伺いたいのですが、いまも精神分析医を続けながら現在は美容整形外科医をやっていらっしゃいますが、そこは何かつながりがあるのでしょうか?

藤田:新倉さんは、もう答えを知っていらっしゃって聞いておられると思うのですけれど、女性ならばやっぱり鏡に映った自分が自分の理想でありたいって思いますよね。若い頃と違って経年変化っていうかな、それが発見されたらやっぱりそれはなんとかしたいって思いますし、もしそれが可能だったら、きっと鏡の中に映った自分を見て満足するし、気持ちが落ち着く。それはもう百のセラピーよりも、ほんのわずかの手術の方がその人をハッピーにすることってあるわけですよね。例えば、精神科医の所にクライントが現われて「私この一重まぶたがいやでたまらないんです。二重にしたいんです」と言ったら「それは君の心の中に何か理由があるんだよ、それは君の心の中のコンプレックスを克服すれば・・・」みたいなアドバイスをするかも知れない。それとは別に、何も知らないふりして「あっ、二重にしたいの。出来るよ5分で」って言って父親的な接し方できちっと治療することもできる。で、外科的な侵襲ってまさに父親的な介入なんですよね。一週間後に来たときにクライアントを見ると一年間精神療法を受けるよりもう結果は明らかでとても朗らかになっている。本当に内から湧いてくる笑顔がある。自我ってやっぱり鎧なんですね。鏡に映った姿、ラカンは鏡の段階と呼んでいますが、自我というのは鏡に映った光の像を自我だと思っているわけなんですね。だから自我に変化を起こさせるのは、精神療法よりも外科的な治療の方が有効な場合も多々ある。だから外科的な侵襲によって心の形を変えるっていう方法。で、これはもう女性だったら誰もが 心の中ですごく納得できることだと思うんですけれども、ただ両方のオーバーラップした領域で仕事をしている人がそんなにいませんね。

新倉:重なった領域で心の治療をしていらっしゃるということなのですね。

藤田:こころの科学の1月号でエッセーを書いたんですけれど、拒食症とか境界例の女の子たちは、豊胸手術で劇的によくなる。それぞれの治療でそれぞれの効果がありますね。

新倉:その辺もまた興味のあるトピックですので、また次回にでもお聞かせください。本日は本当にありがとうございました。

藤田:こちらこそ、ありがとうございました。

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