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カウンセラーの対談「第27回 高山広氏、向後カウンセラー対談<第1回>」

第27回 高山広氏、向後カウンセラー対談<第1回>

高山広 プロフィール

高山広氏 シンガー ソング ライター のような「アクター ディレクト ライター」
1963年10月29日生まれ。宮城県出身。

88年、自作自演による活動を行うためのユニットNON GATE THEATREを旗揚げ。
92年からスタートした数本立てショートストーリーの一人芝居シリーズ『高山広のおキモチ大図鑑』は、人間や動物、昆虫といった生物はもとより、ありとあらゆるモノ(花火、パチンコ玉、歯ブラシと雑巾、傘、爪切り、たばこ、信号、消火器、星・・・)や概念(昨日さんと今日さん、ウソ君とマコトちゃん・・・)まで演じながらその「キモチ」や機微を描いてゆくという作風で「一人芝居の概念を変えた」と評されています。
作品数は500にのぼり、数分のショートショートから、2時間を越える超大作まで「批評性と文学性と生の感情と生活感覚のある」作品群は現在もライブのたびに増え続けています。

俳優・高山広としては、NHK朝の連続ドラマ『あぐり』『すずらん』『天花』等に出演し、多くの視聴者が感動する演技をみせました。
舞台での客演も多く『ビギン・ザ・ビギン』で森光子氏と帝国劇場で共演、ミュージカル『火の鳥』(原作・手塚治虫)、KOKAMI@networkVOL3『恋愛戯曲』(鴻上尚史 作・演出/永作博美主演)、グループ る・ばる『ああ結婚〜昨日今日明日〜』(松金よね子、岡本麗、田岡美也子)にも出演するなど、幅広く活動してきました。

劇作家・演出家としても、二人芝居『笑い屋キャリー』(作・演出)を青年団、志賀廣太郎氏と人村朱美氏を招き公演する他、若手俳優陣が出演するプロデュース公演の作・演出も手がけてきています。
また『友情 カマキリ篇』等、作品を数校の高校演劇部、劇団に提供するなど劇作家としても注目を集めています。

小学生や幼稚園児に向けた、参加型ワークショップ形式のパフォーマンス、保母・教員向けの勉強会での講演・身体表現のワークショップ、中学生・高校生の芸術鑑賞会、メンタルクリニックのデイケアなどにも招かれるなど、これまでの創作・表現活動をもとにした活動も積極的におこなってきました。

また、通常の公演とは別に都内二カ所で毎月「バーライヴ」も展開中。
飲食店、体育館、山小屋等々・・・招かれればどこへでも出向いて行き、地方を含めた各所で老若男女「演劇未体験者」の観客をも魅了し続けています。

ブログURL:http://ameblo.jp/okimochi/

 

インタビュー第1回

今回は、俳優の高山広さんにインタビューしました。高山さんは、20年以上、一人芝居を続けておられます。ご自身は、「アクター ディレクト ライター(俳優兼演出家件脚本家)」と称されています。
高山さんは宮城県出身で、311でご自身が子供のころに過ごした街も被災しました。その後、被災地での公演を多数行っておられます。

向後カウンセラー(以下 向後):いろんな人にインタビューしているんですよ。是非、高山さんにと思いました。8月25日は、東京で一人芝居「劇励」をやるんですよね。うかがいます。楽しみにしています。

高山広(以下 高山):ありがとうございます。

向後:演目は、「桜ばあちゃん」ですか?

高山:そうなんですよ。6月1日仙台でやったのですけど、こんな話ししていいんですか?

高山広氏、向後カウンセラー向後:大丈夫です。それでいってください。

高山:今年の3月11日、前の日に南三陸町に入りまして、あの防災庁舎を見下ろせる高台に神社がありまして、その鳥居のところまで津波が迫ったという。そこの社務所をスマイルアゲインプロジェクトという僕がお手伝いさせていただいているプロジェクトが行事をやるときに、使わせていただいているんです。いつも献花の手向けられている骨組みだけになってしまった防災庁舎のすぐ上です。

向後:小高い林みたいなところですか?

高山:そうです。そこに保育園がありまして、その上に神社があるんですね。そこで、いつも会合をやったり、僕はそのクリスマスに、一年間各地のライヴでお預かりした募金全部を寄付させて頂き、保育園を何カ所か回って300人ぐらいにプレゼントをわたして、クリスマスぐらいは笑ってもらおうとみんなでサンタの格好をしたりするイベントがあるんです。僕は、まだトナカイしかやらせてもらえないのですが・・(笑)。

向後:ははは。サンタはだれがやっているんですか?

高山:サンタはそこの理事長とか、学校の先生とか、各支部の世話役さんたちがやっておりまして・・。芸人は、まだトナカイということで。

向後:なるほど〜(笑)。

高山:そこでですね。クリスマスをやったりするんですけど、去年の3月、つまり1年目ですけど、その頃は、マスコミがたくさん来てまして・・・。地元近くおよび、県内の方々が(被災地に)たどりつくのが困難な状態だったんです。道は一本しかありませんし。そこで我々は、少し離れたところでやりましょうと、先生がおっしゃったんで、一年目は隣町の公民館に集まって、まあ、慰霊をさせていただこうということだったのですが、今年はその神社の宮司様が「ここ使ってください」とおっしゃってくださったので、ありがたく使わせていただいたというわけでした。真下に防災庁舎が見えるところなんですけど。
そこで、毎年プロジェクトの会員さんたちが全国から集まって、いろいろ報告や、寄付金がこれだけ集まって、どれどれに使いましたという収支報告をしたりとか、あとは慰霊の合唱をしたりとか、地元の吹奏楽の子達が演奏したりするんですよ。僕は、必ず一本(お芝居を)やってくれって言われておりまして、それであの、今年はまた、まさにすぐ下が被災された場所なので、その場所でやるって話しで、「ん〜、なにをやらせてもらおうかな」ってそうとう悩んだんですけど、やっぱりこれは、ありものじゃちょっと出来ないなという風に思いまして、無い頭で必死になって、新しいものを作りまして・・。

向後:新しいのを作ったのですか?

高山:はい、で、なぜかと言いますと、地元の方々に声をかけて、もしよかったらどうぞおばあちゃんなんかもいらしてくれるのですが、ほとんどの人がそのボランティアの人たちなのですけど、地元の人が数名来られるという事と、やっぱりそこの土地なので、僕は、そのスピリチュアルな方向ではないのですが、最初に被災地に行ったとき強烈に感じたことがありまして。震災の数ヶ月後にその場に立った時・・・、なんと言うか土地が嘆いているというような、土地自体があっけに取られているような感じがしたんですよ。

向後:なるほど。

高山:僕も、ご存知の通り、その手の能力はまったくないのですけど(笑)、カモメですとかカラスなんかはのんきな感じで普通にいますし、山もそんなにくずれていないし、でも、そこ(街全体)だけが無い。海や空、山たちが「え〜、大丈夫」という感じで街を見ているような気がして・・。これは尋常じゃないなと兄貴と、あっ、兄と行ったんです。私の少年時代、女川と言うところが一番長く過ごした場所なのですけど。これって、土地が「なにが起きちゃったんだろう。街の人がいないんだけど・・」と息を止めて、どうしていいかわかんないような雰囲気のような気がしたんですね。

向後:女川におられたんですか?

高山:はいそうなんです。6年間、子どものときに。第2のふるさとなんですけど。

向後:女川は、すごかったですね。金属の電柱が津波で曲がっちゃっていて、ガードレールもみんな同じ方向に曲がっていて・・。

高山:歩いたんですけど、どこがどこだか、もう分からない状態なんですよ。7、8年前に行ったときには、「まだこんなのがある」なんて言っていたのですが、そのときと比べたら道が分かんないんですよ。歩けないと言うか、あまりにも平坦すぎて。そういう感覚は初めてだったんですよ。下を見ずに、山のところと海のところを見ていると、以前と変わりませんし、海は静かですし、実にのどかなんです。そのようになにも変わってない感じなんですけど、街を見るとあの惨状なんで・・・、なんか全体が、何が起っているのか分からないと言う感じで、すごく戸惑っている感じがしたんです。その感覚がすごく残っていたんで、同行した兄に、「兄ちゃん、これは亡くなった人ももちろんそうだけど、この土地を鎮魂しないとだめかもしれないな」と話したんですよ。それから、1年経って、なかなかそんなのを作れないし、そういう思いで作った事も無かったんで、それがたまたま、そのプロジェクトの理事長に「高山君、今年も頼むよ。今年は3月10日に南三陸でやることになって、地元の人も呼ぶから」ということを聞いた瞬間に、しかも、被害に遭われた人たちが見ている前で、しかもあの現場で演じるとなると、これは〜・・と思ったんですね。でも、これを作れなきゃ、たぶんだめなんだろうな僕は・・、なんて思ったんですね。勝手に。

向後:うんうん。

高山:なんかそれは、自分のスキルアップとかそういう意味ではなくて、こういうのができなければ、やっぱり自分が望んでいるような仕事にはならないんだなと思って、ものすごいビビったんですけど、いや手が震えました。神社の社務所の中ですから、ラジカセの小さいのを持って行って、自分で音響をつけながらやるんですけど、まあ、こう手が震えるんですね。この一語一句がどのくらい例えば、僕の気づかないところで、傷つかれたりしてしまったらどうしよう・・。一言一言がものすごく、前の晩シミュレーションしているときに、あ〜、これしゃべれないかもしんないと思って、いやぁ〜どうしようかなと思ったんですけど、まあ、その当日が来まして、地元の人が来なきゃいいなぐらい思ったんですよ。

向後:(笑)高山さんぐらいのベテランでも?でも、そのくらいの思いだったんですね。

高山:たとえ、どんなすばらしいものをやっても、当時を思い出して傷つかれちゃう方がおられるかもしれないし、またその辺をまったく触れないのも、ノータッチのきれいごとでは、ましてや済まされないし。

向後:そうですよね。

高山:とういうことで、ま、とにかく、これだろうというものを作ったんです。そして、やりました。震えながら。結果的には、まあ、そんなわけで、そこがまったくの初演で、これは、もう出来不出来ではなく、本を書いた通りにやるしかないなと言う事で、やったんですけど、結果的には、大変感じていただけたので、ほっとしたんですね。まあどうにか無事にやれたし、みなさんに拍手もしていただけたし・・。
ただね、なんかそういうことをして思い出させてしまうきっかけにもなるから、こちらも普段のようには喜べず、ただただほっとしていたんですけど。帰り際に、ずっとそこで暮らしてらっしゃったおばあさんが、声かけてくださって、「高山さん、今日は本当にいい劇をありがとうございました。実は、昨日まで本当に辛かった」と言うのは、やっぱり不動産屋とかかがしょっちゅう来て、「もうここ手放したほうが・・」と迫られていてという話しで・・。「そうなんですか」と言ったら、「いや、けっこう多いのよ」とおっしゃって、もう落ち込んでいてどうしようかなと思っていたところに、今日これ見てね、ま、内容はあの、8月25日にご覧いただければおわかりになると思うんですけど。

向後:いや〜楽しみにしています。

高山広氏 高山:大風呂敷広げちゃった(笑)。そのテーマとして、ずっとその土地にこういうことは起きるけど、そこだけではなく世の中のあらゆるところにそういうことが起きてきたけれど、必ず乗りこえてやって来れたじゃないかという・・。そこには先人達のすごい力と言うのがあって、やはり大変なときはそこを見習うべきじゃないかなというような・・、そして、だからこのように地面になにもなくなっているけれど。また絶対・・。ここには昔から涙がいっぱい落っこちてきた。その土を・・涙で濡らしたけれど、きっとまたいつか笑顔の花が咲くよ。前の人たちがそうしてくれたのだから私たちもやるよという、まあ、それがテーマなんですけど、そしたらその、声かけてくれたご婦人が、桜ばあちゃんというタイトルの桜の老木の話しなのですけど、「私にも桜ばあちゃんがいっぱいいたということを思い出した」っておっしゃっていたんですね。そういえば、あの桜の老木の様を見ていたら、私が小さい頃、うんと愛情と手をかけてくれたおばあちゃんが近所にいっぱい居たと思い出したので、「やっぱり私は売りません」とおっしゃったんですね。で、それがいい事なのか悪い事なのか、僕には判断出来ない事なんですが、なにかそのときのおっしゃり方から、なにかをきっかけに決めたいと思われていたときだったんじゃなかったのかなと。僕がたまたまそういうのをやって、で、うれしかったのは、代々受け継がれてきた事を「やっぱり守って行きたい」というふうに言葉にしておっしゃっていただけたことによって、僕なんかが人助けとかそういうのは無理だというのはわかっていますが、幸運にもそういうリアクションをしていただけて、僕の仕事も方法を考えれば、ほんの少しは何にかの役にたてるのかなと。
そして、そこで初演したアコースティックバージョンから6月の仙台公演で、是非もう一度観たいというお声をいただいたので、劇場バージョンに書き直して上演したのですが、それがすごく評判で・・。

向後:ブログ読みました。

高山:あーっ、そうですか。恥ずかしいブログをすみません。

向後:是非観たいです。被災地にどうやってアプローチをするかと言うのはデリケートなテーマで、助けてあげるよ的な上から目線だと、逆に観ているひとたちが傷ついちゃうかもしれないと思うんですよね。ですから、やれることをやるというスタンスがいいような気がしますがね。
しかし、25日の「桜ばあちゃん」の上演楽しみですね。

高山:いやぁ〜。しかし、時間が経つと、例えば、「そろそろ、募金箱下げちゃったら?」とか言われる事があるんですよ。これは、僕からの批判ではなくて、「あっ、そうなの」という反応です。「悪いけど、高山君の芝居は好きだし、何年も見ているけど、なんか、『劇励』じゃないの見たいな」って言うんですよ。「えっ、同じなんですけど、タイトルちがうだけで・・」と思うんですけど、なんかそういう風な色がついてるって言う風に感じてらっしゃって・・。

向後:それは、どなたが?

高山:けっこう、お客さんで多いですね。最近になって見始めた方は、劇励になってから見始めた方なので、そういうのは無いんですけど、つまり、「別にチラシに復興支援ですとか、お手伝いとか、もういいんじゃない?」と言われるんです。でも、「もう」って、「まだ、全然なんですけど」と言いたくなります。

向後:まだ、全然ですよね。

高山:だから、「こう謳っているのは外せと言われれば外すけど、外す事に今度意味が出てきちゃうから、そのままにしておきます」という話しなんですが、募金箱を受付のところにおいているのですけど、「まだやってるの?」というリアクションだったりします。

向後:それは、被災地ではなくて?

高山:東京とかでやるときですね。やっぱりこう、ちょっと一杯入ると、「前から言いたかったんだけど、あまりプラスじゃない気がする」というニュアンスを・・。心配してくれているんでしょうけどね。「おれはそういうなんというか偽善行為とか、仮に言われても、やっていることは、前と同じ事をやっているだけだから、それは全然いいんだけど、それって、なんでオレのマイナスになるんですか」と・・。

向後:そうですよね?なんでマイナスになるんだろう?

高山:そうすると、「なんか売名行為みたいなふうに、受け取られかねなくない?」と言うんですね。けっこう、そういうことおっしゃる方が多いです。「えーっ、全然全然、だって、ほら、ごらんのとおりの集客数だし、今更何が売名になるの??」って。(笑)

向後:へー、でもそういうことあるんですね。

高山:そこがけっこう、僕の中では新鮮な驚きでしたね。

向後:驚きだけど、残念な驚きですね。

高山:残念ですね。

向後:だって、まだまだですよね?2年半経って、なんか逆に苦しくなっているところもありますよね。最初は「絆」で、マスコミもたくさん来ていましたが、でも、時間がたつにつれてそのマスコミが去って行くのを見て、虚無感と言うか孤独感を感じるとおっしゃっていた方もおられますよね。それにさっきの、「家売っちゃったら?」って言われたおばあさんのようなこともあるし・・。
去年南三陸に行ったのですが、被災者の方が、「私はもう平気だ」っておっしゃるんですよ。ところがお話ししていると、最後に「やっぱり、相当我慢してたんだ」というのが出てくるんですよね。相当苦しいんだけど、気持ちを出しちゃったらぼろぼろになってしまうからがんばっているわけじゃないですか。だから、これからなんですよね。
むしろ最初のときは、炊き出しとかそういうのは必要だったと思うけど、感情なんて出せるどころじゃないじゃないですか。なんとか生きて行かなきゃいけないわけで、1年2年たったところで、いろいろなものが吹き出しはじめるのだろうから、これからが大切だと思っています。

高山:本当ですよね。調べれば調べるほど聞けば聞くほど、僕らが想像できなかったようなこといっぱいあるじゃないですか?特に福島のことなんか・・。移動して避難所に入ってくると、なんで入ってきた人の税金が低くて、今までずっと住んでいた人たちの税金が高いんだとか、避難されてきた方と地元の人たちが険悪な仲になっていたりだとか。

向後:それは、福島から、どこかに避難した人たちのこと?

高山:それは、福島の県内でです。あっちは、保証ももらって一日働かないでぶらぶらしているのに、われわれは一日働いて、なんで彼らの面倒を見なけりゃいけないんだと言うような・・。まあ、出るべくして出たようなことなんですけど、どっち側に居た人たちも相当なストレスをかかえているわけですよね。

向後:そうなんですよね。

高山:あー、そういうことがあるんだというようなことが、あまりにも多いものですから、いやー、知らない事がいっぱいあって、これは苦しいんだろうなぁって・・。それに放射能や汚染水のことを考えると、東北はなにがいったい終わっても始まってもいないのに、このしかとぶりはなんなんだと思うんですよ。

向後:そう、しかとぶりね。みんなきれいに隠れてしまっていて、マズいところはカットしますみたいな雰囲気を感じるんです。例えば、福島の人に限らないんだけど、放射能を避けるために関西とか四国とか沖縄にが避難する人がいる訳ですよ。そうすると帰って来れなくなっちゃうんですよね。「ナーバスすぎる」とか、「あなたは逃げたんでしょ」という感じで言われちゃうということがあるらしいですね。避難するかしないかは、最終的には自己責任で判断することだから、良い悪いの問題じゃないように思うのですが・・。
それと、僕も躊躇するんですよ、汚染水のこととかどうなってるのかとか発言することに・・。そういうことを主張することによって、またいろいろな影響が出てきますから・・。過度に不安をあおるようなことにもなりかねないし・・。東北の人たちからすれば、「そんなに言ってくれるな」ということになるじゃないですか。だから、すごい複雑なことが起きてるにもかかわらず、それを見ないようにしているという側面もありますよね。

(つづく)

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