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役に立つ心理学コラム「フリーターは、悪か?−2」
フリーターは、悪か?−2
前回述べた様に、私達の時代においても、多くのモラトリアムや同一性拡散の状態の若者がたくさんいました。私自身の経験で言えば、「自分が何者であるか?」という問いを持ちながら、大学に入るまでは、そうした事を考える余裕はありませんでした。そして、そうした問いを考え始めたのは、大学に入学し、時間的な余裕ができてからの事です。現在私は大学院で教えていますが、自分自身の大学生時代は、おせじにも良い学生とは言えませんでした(中年になってからのアメリカでの留学時代は、マジメに勉強しましたヨ、念のため)ので、時間的余裕は、いっぱいあったのです。しかし「自分とは何か?」という答えは見つからず、結局、そのまま、まわりの流れに身を任せる様に石油会社に就職したのです。
当時すでに心理学の面白さに目覚めていた私にとっては、エンジニアになるという事に多少の躊躇があったのですが、それでも私は、自分自身を納得させる事ができました。なぜなら、1980年代前半のあの頃、会社に勤めるという事が、それなりに魅力的だったからなのです。私には、会社には勢いがあり、先輩社員達も自信に満ちている様に見え、また、安定した生活も保障されていました。実際、その後の日本経済はその絶頂期を迎え、「Japan as No.1」等と言われるまでになったのです。
その頃に比べると、現在の日本には、元気がありません。1990年代から続く長引く不況により、日本的企業の象徴でもあった終身雇用制はくずれ、中高年の働き手は、リストラの危機に怯える世の中になってしまいました。もはや、大企業=安定という図式は崩れ去ってしまったのです。それに伴い、大人達は疲れ、絶望し、元気が無くなりました。その結果、現在の若者にとって、将来は明るいものとは映らず、はつらつとした将来の自分像を想像する事が難しくなってしまいました。
2002年に解散した、19というグループがいました(少し古い話ですが)。彼らの歌の中に「空が笑わないから、僕たちは、笑い方を忘れてしまったよ」というのがありますが、これはまさに、彼ら若者の気持ちを表したものと言えるでしょう。企業(できれば、大企業)に就職するという事は、もはや彼らの自我同一性への欲求を、一時的にしろ、なだめる程のパワーも魅力も持たなくなったのです。
さらに、フリーター増加に拍車をかけたのは、不況に伴う就職難です。例えば、かつて「金の卵」等と言われた新規高卒者の求人数が、1992年には167万件だったのに比べ、2003年には16万件にまで激減したとの事です。これでは、フリーターが増えるのも無理はありません。
また、新卒一括採用にこだわる企業側にも問題があると思います。現在フリーターの7割以上が正社員になろうとした経験があるとも言われています。彼らを、新卒者でないからという理由で採用を控えるというのは、もったいないのではないか?と思うのです。はたして、横並びで、卒業→就職という形式が最も良い形なのでしょうか?フリーターとしての経験や、その間に彼らが悩み考えた事は、企業にまったく役立たないのでしょうか?
私は、日本に帰ってきてから、何人かのフリーターの人達に話を聞く機会がありましたが、彼らの中には、現在の「皆同じ」の社会の価値体系に疑問を持ち、まさにモラトリアムの中にいて、深く自分を見つめて自分の人生について真面目に考えている人達もおられます。彼らは、卒業→就職という普通?の形式に従ってきた人達が見る事のなかった世界を見てきています。彼らの視点、感覚は、その187万人と言われる数字を考えても無視する事はできないものなのではないのでしょうか?
私は、フリーターでもいいじゃないかと思うのです。なにも、若い人達に、「フリーターになろう!」と、呼びかけている訳ではありませんが、フリーターという選択肢があってもかまわないではないか、と思うのです。フリーターは、既定のレールから少しはずれて、世の中を別の視点から見る良い機会であるとも考える事ができます。私は、フリーターの期間、世の中を違った視点から眺めて見てやろうという態度であれば、その経験は、決してキャリア・ダウンに繋がるとは思えないのです。ですから、彼らがフリーターだからといって、採用する側が問答無用に門前ばらいする様な事のないように望みます。拒否するよりも、彼らにチャンスがある事を知らせ、元気づける方が、はるかに社会にとっても、彼らフリーターにとっても良いと、私は思います。
(向後善之)