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役に立つ心理学コラム「あやふやな『私たち』・・ひきこもりについて その2・・」

あやふやな『私たち』・・ひきこもりについて その2・・

「『私』を失う」という事は、希望を失い、感情を失い、現実においての精神的な活動がなくなってしまう事で、すなわち、それは「精神的な死」を意味します。

そして、「私の喪失」や「喜怒哀楽を失う恐怖」を訴えるひきこもりの人たちは、必死に「精神的な死」に抵抗しているのです。

近年注目されてきた自己心理学では、人間の精神的な成長には、3つの根源的な欲求(「生への欲求」と言い換えてもよいでしょう)があるといいます。

その3つとは、前回お伝えした「ミラーリング」、すなわち、他者から無条件に受け入れられ賞賛されようとする欲求の他に、「理想化」(他者を理想化し、自分もその理想に追いつこうとする欲求)と、「ツインシップ」(自分が、他の人と同じような社会に有用な資質を持っていることを確認しようとする欲求)があります(文献1、2)。

「ミラーリング」により自尊心が高められ、「理想化」により障害を乗り越える強さと知恵を得、「ツインシップ」により、自分が世界の大切な一員である事を理解するといいます。

そして、自己心理学の創始者コフートは、「3つの基本的欲求のうちひとつが欠けていても、他の2つの欲求がかなえられる事によって、その不足を補う」と主張しました(文献2)。

つまり、3つの欲求のうち1つが欠けても、他の2つが満たされれば、「精神的な死」にはいたらないというのです。

前回、「小さな連続的な介入」によって、十分な「ミラーリング」が与えられない(まったく無い訳ではありません)状況を見てきました。それでは、他の2つはどうでしょう。

まず、「理想化」ですが、現在の日本では、以前よりも理想化が困難になっていると言ってよいでしょう。

理想化の対象は家族の誰かである事が多いのですが、近代の大家族から核家族への移行により、現在は、理想化対象の選択肢が非常にせばまっているかもしれません。

ただ、この状況は、家族以外の人を選択肢のひとつにする事で、ある程度の対応が可能なはずでした。しかし、家族以外の人を対象化する事が、「小さな連続的な介入」を受けている子供にはとても難しいのです。

例えば、前回紹介したミスティフィケーションの様な介入は、その目的が「相手の価値観を自分好みに変える」事にありますから、子供が「釣りの上手な近所のおじいさん」を理想化しようとしても、親から「隆ちゃんは将来お医者さんになりたいんだもんねー」等と言われ続けたら、「釣りの上手な近所のおじいさん」を理想化しようとした隆ちゃんの欲求は無意識的に歪められてしまいます。

理想化には、多様な価値観の存在が必要で、子供達は、その中から好きな対照を選ぶ事ができるのです。

しかし、現状は、例えば学歴主義のような単一の価値観があまりに広がりすぎていて、その価値観に親が染まってしまっている場合、さらに学校や社会においても(先生達や他のおとな達によって)同じ価値観が維持されている場合、子供は他の価値観を選びようがないのです。
それは、まるで、ラーメン職人をめざしているのにピザ屋に修行に出されたようなものです。

「ミラーリング」も「理想化」も十分に満足されなかった場合、最後のたよりは「ツインシップ」です。

ツインシップ欲求とは、「自分の中に、特定の他人と同様な有用な資質がある事」を認めようとする欲求です。

僕は、個人主義的な欧米では「理想化」の比重が高く、相互依存的なアジアでは「ツインシップ」の比重が高いのではないかと思っています。
別の言い方をすれば、アジアでは、ツインシップ欲求は、比較的達成されやすいと考えてよいのではないかと思います。
実際、日本の高度成長を支えた大きな要素は、「自分は企業戦士である」といった共通の認識があった点、すなわちツインシップ欲求が満たされた点だと思います。

ところが、今では「企業戦士」という言葉は死語になり、実体を失ってしまいました。もはや、日本のサラリーマン達には、ツインシップの核となるような価値観が失われつつあり、それとともに、自分が世界の大切な一員であるという確信を失ってきています。
そして、確信を失ったまま、あやふやな根拠のもとに「僕ら、みんな仲間だよね」と確認しあっているのが現状でしょう。

現代のサラリーマンだけでなく、多くの人たちが「偽りのツインシップ」にしがみついています。「偽りのツインシップ」を維持するためには、それが元々根拠のないものですから、まわりを注意深く観察し、自分がその「暗黙のルール=みんな同じ」に沿っているかどうか、常にチェックしなければなりません。

つまり、「自分の」ではなく、自分が属しているグループ内の価値観、すなわち「他人の」価値観に沿って行動しなければならないのです。そして、この状況は、当然の事ながら、若者や子供達の世界にも波及していったのです。

前回のコラムの冒頭で引用した、

聞くことも見ることもなにひとつ自分ではできなくなる
洋服、アクセ、ケータイ、どんどん『私』は『私たち』になっていく
絡めとる糸がふえていくたびに『私たち』のイミさえあやふやになって
あやふやになった『私たち』に『私』は飲まれて行く

は、そんな世界を正直に表したものでしょう。

「偽りのツインシップ」に支配されている世界では、「私たち」と異なる行動をする事は困難です。その世界では個人よりもグループの維持が優先され、人々は「グループから阻害される事」を恐れます。
「私」がなくなってしまっているので、そのかわりにグループの維持にしがみつくのです。

その根底には、「自分がグループから阻害されるのではないか?」という恐怖があります。従って、「みんな同じ」という暗黙のルールに従わない人は、他の人々からは、グループの存在を脅かす危険人物に映ります。
そして、危険人物はグループから追い出さなければなりません。おそらく、こうしたダイナミックスが、「いじめ」の一因であるのでしょう。

このため、「偽りのツインシップ」の欺瞞に(意識的にでも無意識的にでも)気づいた時、あるいは、「みんな同じ」という暗黙のルールについていけなかった時、その人は、深い孤独感や疎外感を感じます。

たとえ、その人が精神的に健康な人でも、世界からの完全な疎外感を感じてしまえば(例えばいじめを通して)、ひきこもり状態になる事もあるでしょう。
ましてや、その人が十分に「ミラーリング欲求」や「理想化欲求」を満たしてきていない場合、その選択肢は、「ひきこもり」しかないのです。
なぜなら、彼(彼女)の行動を無条件に受け入れてくれる人もいなければ(ミラーリングの不足)、危機を乗り越えるためのロールモデルもいない(理想化の不足)からなのです。

「みんな同じ」という価値観に支配される「偽りのツインシップ」の世界は、さまざまな「微細な介入」の温床になります。

そもそも、それぞれが違うのに「みんな同じ」様に振舞う事には無理があるのですが、その無理を覆い隠すためには、外見をとりあえず同じにしようとする傾向が出てきます。
例えば、ブランド信仰、公園デビュー、お受験、学校の校則、「社会人になったらゴルフをしなければならない」等です。

そして、こうしたとりきめを守ってもらうためには、「微細な介入」がとても有効なのです。なぜなら、そうした世界を維持するための「強い介入」をする根拠はなにもないし、「強い介入」はグループの中で突出する可能性があるので危険です。
それならば、介入したのかしていないのかわからない様な「微細な介入」をすべきなのです。

そうすれば、介入者は、グループの他のメンバーから批判される事もなく、従ってグループの価値観から逸脱せずにいられるからなのです。
そして、その微細な介入は、当然の事ながら、次のグループ構成員になるべき子供達にも向けられていきます。

さらに、「微細な介入」は、前述した様にミラーリングや理想化の阻害要因になります。そして、不十分なミラーリングや理想化しか経験してこなかった人たちは、「偽りのツインシップ」にしがみつく事になり、「暗黙のルール」を強化します。

こうした悪循環は、長年の間、日本の社会の中で繰り返されてきた事だと僕は考えます。そして、現在の日本の社会は、人間の根源的な欲求である「ミラーリング」、「理想化」、「ツインシップ」のいずれもが十分に満足されない(まったく無いわけではなく、不足しているという事)状況に陥ってしまったのではないかと思います。

あらゆる精神的な病の源には、こころの傷があります。そして、その症状は、その文化や時代を反映したものです。

ある主婦の方から、「今、(中学校の)ひとクラスにひとりやふたりひきこもりの子がいる」というお話を聞きました。また、一説には、全国のひきこもり児童の数は100万人との事です。

これは、大変な数で、メンタルヘルスだけでなく社会的な見地からも早急な対応が必要だと思います。

以上、2回にわたり、「ひきこもり」に対する僕の考えを述べさせていただきました。

近回は「ひきこもりからどの様に回復していくか」についても述べようと思います。

(文献1)「セラピストとクライエント」、カーン.M、誠信書房、2000年
(文献2) Kohut, H.(1984), How Does Analysis Cure? Univ. of Chicago, Chicago.


(向後善之)

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