(本稿は、カウンセラー'sブログより抜粋したものです)
チベットには行ったことはありませんが、海外に行った時、偏見の傲慢さを感じることがありました。
僕は、会社員時代にミャンマーに行った事があります。ミャンマーは非常に宗教的な国で、どんな田舎に行っても大きな
パゴダ(仏教寺院)があります。僕が訪ねたミャンマーの石油公団の幹部は、「ミャンマー人は、ちょっと金ができるとすぐ
パゴダを建ててしまう。だから、ミャンマー経済が良くならない」と言っていました。
実際、多くの人達は宗教心が厚く、親しくなった総務部長のキャプテン・ミャンイーは、僕に瞑想の仕方を教えてくれました
(ミャンイー部長は元軍人で、社員達から、キャプテンと呼ばれ、親しまれていました)。
また、「パゴダに貼ってある金箔や、宝石を盗む人はだれもいない」と現地駐在の日本人商社マンが教えてくれました。
僕が首都のヤンゴン(旧ラングーン)から車で11時間もかかる、ある村に滞在していた時、急に日本に帰らなければならなく
なったことがあります。僕は、もうひとりの日本人商社マンと共に、運転手を雇い、車でヤンゴンに大至急で向かいました。
途中、草原の真ん中の三叉路で、突然車が止まりました。そして、運転手氏が後ろを向き、僕達に「ヤンゴンはどっちだ?」と
聞くのです。三叉路には、ミャンマー語で書いた標識があったのですが、運転手氏は、その字が読めなかったのです。
僕らにミャンマー語がわかるはずもなく、そのことを伝えると、彼は、「わかった、こっちだ」と左側の道を進みだしました
(・・しかし、字の読めない彼が、どうやって車の免許をとったのでしょう???)。
結局、その運転手氏は道を間違え、大きな川の船着き場についた時には、フェリーが出た後でした。
僕達は川岸で、手を振ったり、大声で「オーイ」と叫んだりしたのですが、対岸にいるフェリーは、ちっとも気づいた様子が
ありません。しかたがないのでそこでフェリーが戻って来るのを待つ事にしました。
その船着場の裏には、大きなパゴダがあって、表面の金箔がとても美しく光っていたのを覚えています。
僕は一緒に帰る商社マンと、「こんな田舎にも、りっぱなパゴダがあるんだねー」等と言いながら感心していました。
すると、僕達の様子を見ていた現地の人がこちらの方にやってきて、運転手氏と何か話しを始めました。
運転手氏の通訳によると、彼は漁師で、「これから漁に出かけるので、ついでに向こう岸まで行って、フェリーの船長に戻って
来る様に言ってくる。ついては、1ドルくれないか?」と申し出てくれたとの事でした。僕達は感動し、さっそく1ドル札
(彼等の平均的な日収に相当する)を彼に渡し、何度も「ティズティンバーデー(ありがとう)」とお礼を言いました。
彼は、軽く会釈して東の方に去って行きました。きっとそっちの方向に彼の船があるのでしょう。
ところが、いつまで経っても彼の船が出帆する気配がありません。それでも僕達は、彼を信じていました。なんといっても、
ミャンマー人は、宗教心が厚いし、そこは大きなパゴダのまん前で、悪い事なんかするはずがないと思っていたからです。
1時間くらい経った頃、かの運転手氏が言いました。「あんたら、やられたね」 。
僕達の中には、「ミャンマー人=宗教心が厚い=悪い事をする人はいない」という図式ができあがってしまっていたのです。
しかし、実際には色々な人達がいるし、また、それが当たり前の事なのです。
僕は、パゴダの前でだまされたおかげで、ミャンマー人だからといって、「宗教心の厚さ」や「潔癖さ」を要求するのは、
外国人の傲慢なのだという事を思い知らされました。この苦い?経験を、「チベッタン・デイ」の後で思い出しました。
さて、あれだけもりあがった「チベット・ブーム」及び、「Save Tibet運動」ですが、1〜2年後には「チベットを侵略した
中国政府を弾劾せよ!」等と言っている光景は、まったく見かけなくなりました。
「熱しやすく、さめやすいアメリカ人」・・おっと、これも偏見かな?
