(本稿は、カウンセラー'sブログより抜粋したものです)
「チベッタン・デイ」の会場につくと、ちょうど映画の上演会の時間でした。映画は、チベット仏教を紹介したものと、
チベットの近代史についての二本でした。
チベット仏教の映画では、さまざまな仏教芸術が紹介されていて、特に、色鮮やかな砂絵の美しさには感動を覚えました。
また、二本目のチベットの近代史では、中国に侵略され、故郷を追われ、それでも宗教心を失わないチベット人の姿が淡々と
描かれており、その「淡々さ」故に、いっそう彼等の宗教心の深さを感じました。
映画が終わり、外に出ると、「チベッタン・フード」の出店が並んでいました。そこで、最初の「ん?」な出来事がありました。
出店のいくつかは、確かにあまり見た事も無いような食べ物だったのですが、多くは、クレメントストリート(第二中華街と
呼ばれている)あたりで売っているような飲茶でした。まあ、その時は「チベット料理だけじゃ、もの足りないからだろう」
位にしか思いませんでしたが、それは大きな間違いだと、やがて気付くことになります。
その後、講演会に行ったのですが、そこでも「ん?」な事が、ありました。その日のスピーカーも聴衆もほとんどが白人で、
アジア系の人は、ぽつんぽつんとしか見当たらず、「チベットを救え!ワーッ!」とやっていたのは、白人の人たちでした。
これでは、あのあやしげな「チベット瞑想会」と同じです。
チベット人は、どこへ行ったのかと探したら、チベットの民芸品の販売店にいました。ところが、ここでも、「んん?」となって
しまったのです。
確かにチベットの民芸品も多くありましたが、その中に、タイ・ビルマ・インドあたりの民芸品が、チベット製として売られて
いました。明らかにインドかタイあたりの民芸品と思われる「象を祭った置物」を手にとって見ていると、そこの店員が、「その
置物は、なかなか良い物ですよ」と話しかけてきました。
僕は、彼に「これは、チベットのものじゃないよね?」と話すと、「だんな、お目が高い」てな感じで、いろいろと話をしてくれ
ました。
彼は、正真正銘のチベットからの亡命者なのですが、「チベットの特産品といってもそんなに集められるもんじゃないから、
タイやインドの品物も持ってきている」とのことでした。
彼は、「多くのアメリカ人は、インドもタイもチベットも区別がつかないからね」と言っておりました。
そんなこんなで僕の「チベッタン・デイ」見学は終わり、その直後は、「これじゃあレポートが書けない」と思ったのですが、
考え直して、「チベッタン・デイ」での出来事を、そのままレポートにする事にしました。
「チベット人は、みんな敬虔なチベット仏教徒で、タイ製品をチベット製品だと偽って商売することはあり得ない」などと考える
のは僕達の偏見であり、特にアメリカに移民して来ているチベット人達は、アメリカでの暮らしを維持するためにもっと現実的に
生きているのです。
もちろん、宗教心の厚いチベット人は、いっぱいいますし、彼等は彼等の文化を守ろうと努力しています。
しかし、だからといって、チベットの人達に、常に敬虔な「宗教心」やそれに伴う(と、かってに僕が思っていた)「潔癖さ」を
要求するのは、傲慢というものです。
