セラピストは、セラピーセッションの中で、クライアントに対し、さまざまなアプローチをします。
例えば、「傾聴する」、「質問する」、「クライアントを描写する」、「解釈する」、「助言や指示を与える」、「好意を示す」、
「過去を活用する」等があげられます。
その目的は、今起こっている事をクライアントの視点で理解し、クライアントと共に問題を解決する方向を模索し、クライアントが
自分の力で問題を克服していく事をサポートする事にあります。
ところが、多くの人達がセラピストないしはカウンセラーは、クライアントの問題点を解釈・分析し、クライアントが回復するため
の助言あるいは指示を与える」ものと考えている様です。もちろん、セラピストが助言や指示を与える事はありますが、多くの
セラピスト(私を含めて)にとって、助言・指示といったものは、セラピーのごく一部にすぎません。
確かにかつては、分析+助言は、セラピストの専売特許で、それがセラピーの中心的要素でした。
例えば、かのフロイトの時代は、クライアント(当時は患者と呼ばれていました)は問題をかかえている人であり、セラピストは、
その問題の本質を分析・解釈できる先生でありました。
この頃の精神分析系のセラピーは、クライアントは寝椅子に横になり、セラピストは寝椅子の後ろ(クライアントから見えない所)
に立ち、クライアントの訴えを聞いて、セラピストがその訴えを分析・解釈し、その事を伝えるといったスタイルでした。
セラピストがクライアントの視線を避けるのは、クライアントがセラピストに投げかける感情(転移)にセラピストが影響を受け
ないようにして、客観的にクライアントの問題点を判断するためです。
この時代、クライアントは「問題を持った人」で、セラピストは問題を正す事のできる「先生」だったのです。
しかしセラピーが広まっていくと、分析や解釈+助言だけではクライアントの問題が、なかなかうまく解決していかない事が次第に
明らかになっていきました(これは、フロイト自身も気づいていた事です)。セラピストの分析や解釈が正しいのかもしれませんが、
クライアントは、その事を頭で理解してもこころでは理解できない、あるいは、その分析結果や解釈を自分のものとして取り入れる
事ができない事が多いのです。
フロイトの時代から100年を経て、現在のセラピーのスタイルは、様変わりしています。
まず、今ではほとんどのセラピールームには寝椅子がありません(催眠療法等では使用しますが)。セラピストは、クライアントの
正面(ややななめの場合も多い)に座り、クライアントの目を見ながらセッションを行います。
現在の多くのセラピストは、クライアントを患者としてというよりもひとりの人間として見(主に実存主義心理学の考え方による)、
そのクライアントの視点から世界がどの様に映っているのかを知ろうとする事から始めます。これは、完全に客観的な現実は存在
せず、クライアントが見ている世界もクライアントにとっては現実であるといった考え方が根底にあります。
セラピーは、かつては、客観(セラピスト)と主観(クライアント)のぶつかりあいであったのに対し、現在は、主観と主観の
ぶつかりあいになってきているのです。
こうした変化に伴い、多くのセラピストは、患者という言葉を避け、クライアントと呼ぶようになりました。
セラピストは、クライアントの見ている世界をできるだけ共感的に体験しようとするのです。別な言い方をすれば、セラピストは、
クライアントと同じ視線で世界を見ようとするのです。同じ視線にたった上で、セラピストは、クライアントと共に、問題の克服に
あたります。この一緒に考えるという姿勢がクライアントの新たな気づきを生み、その気づきは、頭ではなくこころで感じるもの
ですから、やがて自分のものとして取り入れられていきます。
現在のセラピストは、セラピストによる解釈の押し付けよりも、クライアント自身による気づきを重視し、その気づきが起こる
ようにサポートする傾向が強いと言えるでしょう。
