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いじめについて−4(いじめる側の心理2)

前回述べた「弱い者いじめはいけない」という倫理観が希薄になってきた事の要因としては、他に、子供達の生活の中で他者との
かかわりあいの機会が少なくなってきた事があげられます。
核家族化や少子化、都市化に伴う地域のコミュニティーの沈滞等により、現在の子供達には、他者とかかわりの中で自我を確立
させていくといった環境が少なくなってきています。

このため子供達の他者理解の発達が進まず、他者の痛みを共感的に理解する能力を獲得する事が難しくなってきています。
他人と接する事により、楽しい事も傷つけられる事もあります。楽しい経験は、人と関係を持つ事や社会に参加する事の喜びの
基にもなるでしょうし、傷つけられた経験は、逆に他人の痛みを理解する機会にもなります。
「他人の痛みを共感的に理解できない」のであれば、「弱い者いじめはいけない」という倫理観を理解する事は難しく、そのため、
いじめに歯止めがきかなくなってしまいます。

そして今の子供達は、小さい頃から「公園デビュー」や「お受験」に代表される様な大人達による過干渉の環境の中で育ちがちです。
彼らの生活は初めから管理されており、そのため、個人としての価値観、すなわち自分の頭で考えるという習慣を発達させる機会が
少ないのです。子供達にとって、答えは常に自分の外(例えば親)にあるのです。
また、前述したように他者とのかかわりあいが減少しているため、子供達へのインプット情報の多様化が制限されている事が、この
「自分の頭で考える」といった能力の発達を阻害していると思われます。

世の中には情報があふれ、価値観が多様化してきたという人もいますが、私はこうした子供達をとりまく状況を見ていると、むしろ
逆なのではないかと考えます。多くの人達からいろいろな考え方が示されれば、子供達も自分の頭で考え、自分の意見や倫理観を
持つ事ができますが、現在の様に単一な価値観に支配された環境の中では、子供達には選択すべきインプットの種類が少なく、
結果的に与えられた答えを鵜呑みにするしかないのです。
そして、価値観が平板化し、個々のメンバーが「自分の頭で考える」事をやめてしまった世の中では、多数派が絶対的に正しく
なっていきます。

前回説明したように、いじめには、被害者・直接的な加害者・観衆(いじめをはやし立てるメンバー)・傍観者(いじめを傍観する
メンバー)が存在します。しかし、かつては、それらのグループに加え、いじめを批判する中立的なグループ(批判者)が存在して
いました。
今も昔も、いじめには多様性を排除する目的が強く、そのいじめの中には、残酷で集団的で、過激化する傾向があります。しかし、
かつてのいじめがそれを暴走させなかったのは、この「いじめを批判する中立的なグループ」の存在が大きかったのです。
「いじめを批判する中立的なグループ」が行動を開始し、その正当性が示されれば、最初に傍観者、続いて観衆が今度はいじめを
批判する側に回ります。最終的に、直接的な加害者は孤立し、いじめは終息していったのです。そして、こうした「中立グループ」
の存在は、「弱い者イジメはいけない」といった社会の倫理観によって支持されていました。

しかし、そうした倫理観による支持もなく、多数派が絶対の社会においては、「いじめを批判する中立的なグループ」の成立は
難しいのです。そして、そうした状況の中であえて「いじめを批判する」勇気を持っても、その行為は賞賛されないのです。
クラスメートからは、「かっこつけるな」と思われるし、親からは「そんな事より、もっと勉強しろ」と言われるかもしれません。
さらに、今の子供たちは「少数意見でも自分が正しいと思ったらあえて主張する」勇気を、学ぶ機会が少ないのではないかと
思うのです。こうした勇気を、本来子供達は大人から学びます。しかし、たとえ少数意見でも正しいと思うことを主張する大人
たちが、今どれほどいるのでしょう?
例えば、「前例がないから・・」「部長が『うん』と言わないから・・」「みんなやっている事だから・・」という論理が、社会に
氾濫しすぎているように思えます。

子供達は、勇気を学びようがないのです。子供の世界は、大人の世界を敏感に反映しています。
いじめは、現代の子供達の問題ではなく、それを作り出す社会の問題だと私は思います。



(向後善之)

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