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いじめについて−3(いじめる側の心理1)

いじめのきっかけは、さまざまです。
良い子ぶっているから、めだたなくて暗いから、転校生だから、先生にひいきされているから、行動が遅いから、帰国子女だから、
勉強ができないから、もてるから、勉強ができるから、めだちすぎるから、先生にきらわれているみたいだから、もてないから等々、
数え上げたらきりがありませんし、こうしてリストアップしてみると、いじめのきっかけには一定の傾向が無い様にも見えます。

しかし、実は、そこには共通する因子があるのです。それは、「みんなと少し違う」なのです。

勉強ができてもできなくても、それは「みんなと少し違う」点では、いっしょです。そして、いじめる側の人たちは、その少しの
違いが我慢できないのです。どうやら「自分達と少し違う人間がいる」という事が、それだけで大きな不安を生む時代になって
しまっているのです。

「みんなと違う人(新しい個性の人)」がグループに参加すると、そのグループ内のバランスが崩れます。このバランスの一時的な
崩れは、本来グループとしての変容(成長)の前には必要なプロセスで、この一時的な崩れを乗り越えた後に、グループは新たな
方向性を見出します。
別の言い方をすれば、グループの成長にはメンバーの個性が必要で、新たな個性を取り入れた時、一時的にグループ内のバランスの
再編成が必要になると言う事です。
例えば、日本のサッカー代表チームが活躍した事の大きな要素には、トルシエ監督や、中田秀寿をはじめとする海外で活躍している
プレーヤーが、代表チーム全体に刺激を与えた事等による多様性の獲得があります。

ところが学校におけるいじめの世界の中では、子供達は多様性(みんなと少し違う)の獲得とそれに伴う混乱を極度に恐れて
いるように見えます。この混乱を避けるために、彼らは常に「僕らはみんな一緒だよね」と確認し合っていなければなりません。
そして、バランスを崩す可能性のある要素は、排除されなければならないのです。

多様性を嫌う傾向は、個よりも全体を重んじる傾向のある日本の社会では、大なり小なり昔からあったものです。
それなのに、なぜ最近のいじめはエスカレートし、クラス全員でひとりの対象者をいじめるような集団性を持ち、しかも、歯止め
がきかない様になってしまったのでしょうか?

いじめにおける加害者は、@直接的にいじめを行うメンバー(直接的な加害者)、Aいじめをはやし立てるメンバー(観衆)、
Bいじめを傍観するメンバー(傍観者)に分類されます。
こうした人達は昔からいたはずですが、かつてはいじめが暴走し、しかもそれが被害者以外のクラス全員にまで拡大し、被害者に
深刻な打撃を与えるという事は、今よりはるかに少なかった様に思います。
この違いは、現在においては「弱い者いじめはいけない」という基本的な倫理観が全体的に希薄になってきている事、またかつては
加害者・被害者の他にいじめに反対し批判する中立的なグループがあり、そのグループがいじめの暴走に対する抑止力となっていた
ことがその要因としてあげられます。

「弱い者いじめはいけない」という倫理観がなくなってきた背景には、学校が学力重視・テスト受験体制による競争原理に支配
されてきているため、「弱い者は負け」の世界観が形成されてしまっている事があげられます。
かつては大学まで進学する人達は少数で、学校の成績は人の個性のひとつに過ぎませんでした。しかし現在では、少なくとも多くの
学校の中で、子供たちは成績という単一のものさしで評価されます。
学力という評価基準は、学校だけでなく、毎年4月頃に行われる週刊誌の「東大合格者数、高校別ランキング」に代表される様に、
社会そのものからの情報により強化されます(しかし、過剰な学力偏重を批判しているマスコミが、なぜ、東大合格者数ランキング
を発表するのでしょうか?)。

こうして子供達の中には、「弱い者は負け」の価値観が育っていくのです。したがって、子供達は「弱い者=敗者」になる事を恐れ、
常に勝者側にいる事を望みます。

ところが、子供達はやがて自分が受験というふるいにかけられる事、そして自分が勝者の側に選別されるとは限らない事を知って
います。たったひとつの価値観の中で、だれが落ちこぼれるのかわからないという不安にさらされた子供達は、常に「ぼくら一緒
だよね」と、表面上確認しあう必要があるのです。
自分達が勝者であり続けるためには、敗者が存在しなければなりません。そして、敗者の候補者として、自分達と少しでも違う人を
選ぶのです。
子供達は、自分の中の敗者的要素(他人と違うところ)を、その敗者の候補者として選ばれた対象(いじめを受ける子供)に投影し、
徹底的に攻撃します。こうして、加害者達は、実は自分達の中にある敗者的要素から目をそらす事ができます。
こうした状況では、被害者に対する共感的理解は存在せず、「弱い者いじめはいけない」という倫理観は消滅してしまいます。



(向後善之)

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